関ジャニ∞(現・SUPER EIGHT)の横山裕さんが、2025年の「24時間テレビ」で母への感謝を涙ながらに語り、心を打たれたファンも多かったのではないでしょうか。
この記事では、「なぜお母様が亡くなってしまったのか?」という問いに始まり、横山裕さんの生い立ち、母の死、家族構成、そして彼が歩んできた壮絶な人生を、わかりやすくまとめました。
幼少期〜家族構成:複雑な環境の中で育つ
- 横山裕さんは大阪出身。3歳の時、両親が離婚し、その後母親が再婚しました。その結果、異父弟が2人(6歳差・8歳差)でき、3人兄弟として育ちました。
- 義父との関係は良好とはいえなかった様子で、「横山」という名字は義父の姓をそのまま使っているという複雑な背景もあります。
中学卒業後、進学せずに建設会社で働きながら、家計を支えていたのも横山さん自身。幼い弟たちの面倒を見ながら芸能活動を両立させることは、並大抵の努力ではありませんでした。
母の突然の死、そして横山裕さんの決断
- 2010年5月16日、母親は大阪のスーパーで買い物中に突然倒れ、帰らぬ人となりました。死因は「虚血性心疾患(心臓に十分な血流が届かない状態)」とされています。
- 横山さんはちょうどソロコンサート中で、母親は前日に大阪城ホールのステージを観に来ていたことから「親孝行できた」と振り返っています。
- スタッフには中止の提案もあったものの、「来てくれたお客様のために」と最後まで舞台をやり通したそのプロ意識には、多くの人が胸を打たれました。
弟の記憶喪失──その後の苦悩と再生
- 母の死は弟たちにも深い傷を残し、上の弟はショックで記憶喪失になってしまいました。葬儀の2週間後、突然、母と亡くなった後の2年間の記憶がすべて抜け落ちたのです。
- それでも横山さんは、「弟たちの父親代わりとして支える」と決意し、大阪市内で3人での新生活をスタート。共同生活を通じて、弟たちの精神的な安心も少しずつ回復していきました。
- その結果、弟は記憶が徐々に戻り、大人になってから税理士という夢を実現するまでに成長しました。初任給で寿司をおごってもらったエピソードには思わず感動してしまいます。
家族を支えた強さと周囲の支援
- 母が亡くなった時、関ジャニ∞のメンバー全員が葬儀に参列。「これから俺らが横山くんの家族にならなあかん」と語り合ったというエピソードは、ファンにも愛される絆の象徴です。
- また、嵐からも献花が届き、横山さんは「オカンも絶対に嬉しかった」と感激を語っています。
生い立ちまとめ:横山裕さんという人間の基盤
項目 | 内容 |
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幼少期 | 両親離婚、義父との生活、異父弟2人 |
家庭責任 | 中卒後に家計を支え、弟たちを守る |
母の死 | 虚血性心疾患による急死、ソロコンサート継続 |
弟との関係 | 記憶喪失の弟を支え、共同生活を送る |
弟の成長支援 | 税理士資格取得を支援、夢を叶えさせる |
周囲の支援 | メンバーの絆、芸能界仲間の温かさ |
まとめ:感謝と絆が原動力となった人生
横山裕さんは、「母に見せたかった姿」「弟たちの父親代わりとしての自覚」、そして「仲間からの支え」―これらすべてが今の強さと優しさの源泉です。
「母親の死の理由」「家族構成」「生い立ち」を知ることで、横山裕さんの発言や涙の意味が一層深く伝わってきます。
24時間テレビなどで見せる“母への感謝”の笑顔は、芸能人としてだけでなく、一人の人間として、兄として、支え続けた家族への想いが込められたものなのですね。